長野たかし プロフィール

ベーシストとして
高石友也のバッキングバンドのベーシストとしてプロデビュー。
高石が関わっていたフォークキャンプに集まった若いフォーク・シンガーから編成された音楽ユニット「フォークキャンパーズ」にも参加する。
五つの赤い風船のベーシストとして、ザ・フォーク・クルセイダーズらとツアーを回り、ツアー先のホテルで1968年3月発売の「悲しくてやりきれない」を加藤和彦が完成させた直後の状況を目撃する。
ザ・フォーク・クルセイダーズの「イムジン河」が発売中止となった後、松山猛の訳詞を残そうと、1969年2月に松山猛・平沼義男・芦田雅喜の3人によって結成されたフォークグループ、ミューテーション・ファクトリーのレコーディングの際、ベースを担当。

レコードデビュー
1974年8月10日、フォークキャンプ時代の知り合いだった豊田勇造とともに、アルバム『豊田勇造 長野隆ライブ』(エレックレコード)でレコードデュー。
豊田勇造らのベースを担当。金森幸介・太田ぼうの「I.M.O.バンド」、越智友嗣の「おちゆうじとニューベルツ」にも参加し、ソングライター、ヴォーカリストとしても活躍。

子ども向け番組に出演
その後、子供向けバンドを結成。幼稚園や小学校での公演活動を展開。これを知ったNHK教育テレビの学校放送番組「たのしいきょうしつ」のテレビディレクターが番組への出演を誘い、1977年から1983年にかけて、番組の出演者、スタッフとして参加。

劇団公演の傍らライブ活動
現在は、人形などを使った子ども向けの劇団を結成して全国の幼稚園、小学校などでの出張公演に取り組む傍ら、ソロミュージシャンとして各地でライブ活動を続けている。